2014年9月14日

秩父札所めぐり2日目(第14番~第25番)

さてさて、三連休に2日目にじいさんを連れて出かける話になったので、急遽1日目に「思い立って秩父札所めぐり」を突っ込んだんですが、ふたを開けてみたらじいさんの気が変わっていて、2日目もぽっかり予定が開いた~!

これは・・・昨日の続きをするっきゃないね♪

というわけで、またも朝から愛車の「濃いオッサン号」で秩父に繰り出しました~☆



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で、これまたさてさて。

1日目は13番札所で打ち止めでしたが、13番からしばらくはずっと秩父の市街地に札所があって、車ではなかなか動きづらそう・・・

なので、秩父神社近辺の札所については、秩父神社の駐車場に車を停めてさくっと徒歩で回ることに。

ということは、札所を回る前にちゃんとお参りをするのが礼儀でしょ!ってわけで、2日目の最初は秩父神社です。






知知夫国総鎮守の秩父神社は、人皇第10代崇神天皇の時代に初代国造である知知夫彦命が祖神である八意思兼命をお祭りしてより、今年は御鎮座2100年なのだそうです。

ん?2100年? ってことは御鎮座は紀元前~!?

・・・どちらにしろ秩父は、古代には知知夫国造が置かれたり、和銅を産出したことにより日本最古の貨幣とされる「和銅開珎」が鋳造されたり、坂東八平氏のひとつ秩父氏うぃ排出するなど、古くから開けていた土地ではあることは確かです。

この秩父神社の例祭は、京都の祇園祭、飛騨高山祭とともに日本三大曳山祭のひとつに数えられる「秩父夜祭」です。

そして、現在の社殿は天正20年(1592年)に徳川家康公によって寄進されたものだということです。

だからなのか、御本殿は日光東照宮にも匹敵するような極彩色の(ちょっとあせてるけど)彫刻群に覆われた絢爛豪華な建物で、左甚五郎作の彫刻まである~!

その一部をご紹介すると・・・


これは、「子宝・子育ての虎」で、左甚五郎作と伝えられているそうです。
よく見ると、母虎の模様がヒョウ柄・・・!

次は「お元気三猿」



日光東照宮の三猿は「見ざる・言わざる・聞かざる」ですが、秩父神社の三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」なので、元気よく遊ぶフツーの猿になっちゃってるようなwww

東側には、これも伝・左甚五郎作の「つなぎの龍」。
よーく見ると、青龍の体がぐるぐると鎖で縛られています。

近くの池で龍が暴れると必ずこの彫刻の下に水溜りが出来ていたので、ためしにこの龍を縛ってみたら池に龍が現れなくなったという伝説に基づいているのだそうです。





神社用のご朱印帳も持ち歩いているので、こちらでもちゃんとご朱印をいただきましたよ~!

さて、秩父神社にお参りのあとは、本日最初の第14番今宮坊に行くぞっと歩き出して、地図をたよりにうろうろしていたら、「秩父霊場発祥の地 ~その昔、八大宮を参拝した巡礼は、それから霊場めぐりをはじめました~」の大きな看板を発見☆

それじゃ、ホントは今回ここから始めなくちゃいけなかったんじゃないの~?

ま、これからでも遅くはないので今からでも・・・と14番への道からくいっと曲がって、その「八大宮」秩父今宮神社へ。




「八大宮」は水を司る神である八大龍王のお宮のことで、役行者によってこの今宮の池に祭られたのだということです。

今宮神社の境内には古来より武甲山の伏流水が湧き出ていて、秩父神社では今宮神社の水分祭で御神徳を授与された水幣をもって、御田植祭が行われているそうです。

この今宮神社にも「この~木なんの木、気になる木~♪」と歌いたくなるような、めちゃくちゃ大きい古木があります。


樹の周囲約9m、樹齢なんと約1000年のケヤキの古木です。

これだけでも恭しい気持ちになってしまいますね~☆





そして、今宮神社でもご朱印をちゃんといただいてしまいました。
龍神体だそうです。

うちの辺りは、このところお天気が続きすぎて畑がカラカラになってきてるそうなので、ご利益ありますように~!





<第14番 長岳山 今宮坊>

今宮神社からすぐそばの第14番今宮坊(今宮観音堂)は、今宮神社に比べてちょっと狭い感じのこざっぱりとした境内です。

お堂も、よくみると回廊や濡れ縁のないさくっとした造りで、とてもコンパクト。





ご朱印と散華シールも、とてもシンプルです♪

そして・・・ここで1日目に回った第11番常楽寺で見かけた茶色い衣の謎な修行者?の方に、再度行き会いました。

この方も1番からずっと回っているのかなぁ・・・


14番札所でのお参りを終えて、15番札所までてくてく。。。
秩父の町には、ちょっと路地を入るとまだまだ風情のある通りが残っています。




屋根の上、よくよく見ると鯱が乗ってる?!



<第15番 母巣山 少林寺>

秩父鉄道の秩父駅とお花畑駅の間のちっちゃな踏切の奥に、第15番少林寺はあります。

うっかり見落としちゃいそう・・・と思ったら本当に見落として通り過ぎちゃいました(^^;)





ちょうど正面の石段は改修工事中で、まっすぐ上ることは出来ませんでしたが、工事フェンスの脇から「秩父事件で殉職した警察官のお墓」はお参りすることができます。

で、本堂に上がってお参りしようとしたら・・・





な、な、なんとっ・・・お賽銭箱に三鱗紋が!!!

そう思ってよく見ると屋根の上にも瓦に三鱗が~♪




第8番西善寺の三鱗紋は後北条氏とのつながりがなんとなくわかったんだけど(第1日目ブログ)、こちらはなんでかな~?

で、調べてみたら、この少林寺は臨済宗建長寺派で鎌倉と関係が深いようなので、どうも後北条氏ではなく鎌倉執権北条氏ではないかと思われます。

そういえば、ちょっとつぶれた三鱗ではなくて、正三角形の三鱗ですもんね。。。




・・・そして、またあの「謎の修行者」に出会ってしまった(^^;)
回るスピードが一緒なのかなぁ☆




<第16番 無量山 西光寺>

秩父鉄道の秩父駅から荒川に向ってまっすぐ西に伸びる道(県道208号線)の途中の横道を入ったところに、西光寺はあります。

荒川にかかる秩父公園橋まで、結構広くて気持のいい道なので、ついうっかり曲がり角を通り過ぎちゃいそうですが、横道を入っていくとちゃんとバスも停められそうな駐車場があります。

駐車場から1人通れるくらいの狭い路地を通って本堂へ。





午歳総開帳だからなのか、鮮やかな提灯や吊るし雛できらびやかに飾り付けで迎えていただけます♪





前庭に細長くコの字形に続いている建物は、四国八十八ヶ所霊場のご本尊をも模刻して安置してある回廊堂です。

本堂の右手に入り口があって、その前に「お砂踏み」と書かれた仏足石が置かれています。
右の足型の中には四国第1番~第44番、左足には第45番~第88番までの各霊場の本堂の前の砂が納められていて、これを踏むと回廊堂の仏様や弘法大師とご縁が結ばれるのだそうです。


境内の反対側に目を移すと・・・なんじゃこりゃ、巨大な「酒樽」を利用した小屋?

なんでも大正時代に実際に使われていた酒樽を利用して茶室を作って、その中に大黒天をお祀りしたら、ご利益があると評判になったのだそうです。

特に願をかけて名刺をつけるとご利益があるのだそうで、よく見ると樽の箍に酒造会社や酒蔵の名刺がいっぱい刺さってる!(笑)





第16番西光寺のご朱印と散華シールはこちら。総開帳の判は菊花・・・?




<第17番 実正山 定林寺(林寺)>

愛車「濃いオッサン号」のナビによると、16番札所からもとの気持のいい県道に出て、秩父駅方向にちょっと戻ったところにあるコインランドリーの角を左に入る、はず。。。

と、コインランドリーのあるはずの角まで来ても、コインランドリーらしきものが見つからない!

いや、よく見ればありました。が、どこにも「コインランドリー」と書いてないコインランドリー。
危うく迷子になるところでした。16番から17番に向う際には要注意☆





第17番定林寺の梵鐘には、その周囲に秩父・坂東・西国の日本百番観音の全部のご本尊が浮き彫りにされていて、しかも像のまわりにはそれぞれ御詠歌も刻まれているという見事なものです♪

写真ではちょっと遠くて御詠歌が見えないですけど(^^;)




第17番定林寺のご朱印と散華シールはこれ。総開帳の判は、やっぱり梵鐘ですね~!

で、実はこの定林寺に来たときから、どうも違和感を感じていたんですよね・・・
どうも、他のお寺に比べて、異常に「若者」が多い!

それも、札所めぐりとかお寺参りに縁のなさそ~な、草食(オタク?)系男子とか、女の子のグループやサイクリストたち・・・

その理由が、本堂の裏手の納経所に行って確信に変わった。これか!




なんと、納経所で「あの花」(秩父を舞台にしたアニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」)のポスターやらグッズやら・・・絵馬まで売ってる~!!!

どうやら定林寺は「あの花」のアニメに出てくる「聖地」だったんですね~☆
そして、この午歳総開帳とコラボしているという・・・




西武鉄道が中心となった観光PR事業で、「あの花」ラッピングの電車と市内巡礼バスも走っているそうです。なるほどね~☆



<第18番 白道山 神門寺>

第18番神門寺は、秩父市街を南北に貫く国道140号線沿いにあります。

が、秩父市内から北上すると右側になるので、お寺(の駐車場)への入り方がわからない&対向車線の交通量が多くてうまく入れない!

近くのホームセンターの駐車場に停めて、少々走って境内へ☆
(もちろん買い物もしますよ~笑)




神門寺のご本尊の聖観音様は、珍しく両手に蓮華を持っていらっしゃいます♪

境内にはお不動様のお堂もあります。
お弁当が食べられそうな小屋?もあって、なかなかよいです。

この観音堂にもお堂の脇から入れる回廊があって、中に仏様たちが安置されています。
目立たないので、他に中に入る人は見当たりませんでしたけど(^^;)




そして、第18番神門寺のご朱印と散華シールはこちら。
総開帳の判はカメさん・・・池もないのになぜ?と思ったら、観音堂の見事な唐破風に「波に亀」の彫刻があるのだそうです。

カメさんは建物の火難除けだそうですよ~!



<第19番 飛淵山 龍石寺>

第19番龍石寺は日本のエアーズロック?(笑)

お寺自体が巨大な1枚の岩盤の上に立ってます。
写真の建物の下の地面が茶色い砂岩のように見えるのが、その岩盤の一部露出した部分なんです・・・わかりづらいけど(^^;)




この龍石寺は荒川を望む高台にあって、お堂の周りはだだっ広くてちょっと荒涼とした感じがするのですが、近くには昔渡し舟で往来した名残の渡し場の遺構の石段も残っているのだそうです。





境内にはこんな案内の立て札も。

この第19番龍石寺より先、荒川西岸の第20番~第25番にかけての札所あたりには、江戸時代の巡礼古道が非常によく残っているのだそうです。




古道好きのワタシとしては、歩きたい虫がうずうず・・・
今回は愛車と一緒だったので行けませんが、そのうち歩きに来ますよ~!!!




<第20番 法王山 岩之上堂>

第20番岩之上堂は19番から荒川を渡った対岸にあります。

その昔は19番と20番の間は渡し舟で往来していたそうですが、明治18年(1885年)の秩父橋の完成とともに渡し舟は廃止になったのだそうです。

19番から歩いていくと、その秩父橋の現在は遊歩道として整備されている2代目橋を渡って20番に行くことが出来ます。

これまた残念ながら、ワタシは車なので現在国道299号線が通っている3代目秩父橋を通って20番へ。。。

車で行くと、岩之上堂には斜面の上のほうから階段を降りて境内に入ることになります。





第20番岩之上堂はその名の通り、19番と同じく巨大な1つの岩盤の上に立っています。

でも、全く「エアーズロック」って感じがしないのは、19番と違って緑が豊かだからかもしれないですね~。

お堂の前のもみじも葉っぱが青々としてとても綺麗♪

でも、1枚岩盤に立っていることは、お堂の裏手に回ると実感することが出来ます。




裏手に回ってお堂の基壇を見ると、四角く岩を掘り下げて、溝や段を刻んでいるのがよくわかります。

自然の岩をそのまま活かしているので、所々もとの岩の亀裂がそのまま残っているのも見て取れます。。。





そして、岩之上堂のご朱印と散華シール。お書入れがダイナミックでシールがうまく貼れませんでした~(汗)




<第21番 要光山 観音寺(矢之堂)>

第21番観音寺は荒川西岸の長尾根丘陵の裾を荒川に沿って走る県道72号線沿いにあります。

通称「矢之堂」。火難に霊験あらたかということで「火伏せ観音」とも呼ばれているそうです。





駐車場は道路を挟んだ向い側にあるのですが、とても狭いので駐車はご注意です。
ワタシは危うく後ろの溝に落ちかけた・・・(><)!




<第22番 華台山 童子堂(永福寺)>


秩父札所第22番童子堂の山門の仁王様は、「童子仁王」とよばれる通り、とってーも!かわいらしい仁王様です。






どうも、この仁王様は仏師ではなく素人が童子を意識して作ったもののようで、全体的に平面的でぺったんこなつくりですが、なんかあどけなくて、どこにでもいる感じで、見てるとついクスッと笑っちゃいますよね☆

お堂の背後は、はるか下のほうに荒川が流れています。




境内に立っていた案内板によると、この童子堂は永田城の城址に建っているようです。

永田城は武蔵七党(坂東八平氏)の丹党中村氏によって室町初期よりも以前に築城されたといわれています。

その後、同族の永田氏寺尾氏と入り、武田氏による秩父侵攻の後は、井上氏諏訪氏と城主が変わって北条氏邦に属し、天正18年(1590年)の北条氏滅亡の後、廃城になったということです。

その辺の情報は全く調べないで童子堂に行ってしまったのですが、あわてて納経所の方々に聞いてみたら、親切に土塁と堀の位置を教えてくださいました。さすが!

写真で土手のように見えるのが、その土塁遺構で、わかりづらいですが、その手前の畑との間に空堀遺構もあります。

季節柄、草ぼうぼうでやっぱりただの土手にしか見えない(笑)





ということで、それから急遽ほかにも遺構がないかと、ごそごそと藪こぎ~♪
・・・の話は、ワタシの別ブログ「晴れ、ときどきお城」の方に書くといたしまして。

この土塁の切れ目(虎口?)からの空堀が、第22番から第23番への巡礼古道となっております。







この巡礼古道から武甲山を眺めると、ちょうど視界に秩父公園橋も入ります。
めっちゃお天気もよくて、いかにも「秩父~!」という、すてきな景色ですね♪




<第23番 松風山 音楽寺>

音楽寺は秩父鉄道秩父駅から県道208号線をまっすぐ、札所第16番西光寺の脇を通り抜けて秩父公園橋を渡った先の丘陵の上にあります。

秩父ミューズパークに隣接している(というか、駐車場はミューズパークのを使えてしまう☆)ので、てっきりミューズパークの名前の由来(ミューズはギリシア神話の文芸の女神)は音楽寺からきてるのかな~と勝手に思ってたんですが、どうも、そうでもないらしいです。。。

ミューズパークには音楽堂やスポーツの森、卒業ソング「旅立ちの日に」発祥の地にちなんだ「旅立ちの丘」などがあって、いろいろ楽しめる広域公園になっています。




一方で、音楽寺の方はとても渋い感じですね☆
松の梢に吹く風の音からついたお寺の名前ということですが、やはり音楽に関する願い事をかなえてくれるお寺ということで、音楽関係の方が祈願に訪れるのだそうな・・・

音楽寺からは、荒川を隔てて、秩父市域一帯が一望の下に見渡せます。
お寺の裏手をさらに登っていくと、「秩父札所を開設した十三権者の石像」があります。




 

どう見ても、全部同じ「お地蔵さん」が並んでいるようにしか見えない ← 不心得モノ(^^;)


明治17年(1884年)11月、自由民権運動史に特筆される秩父困民党事件で、戦闘開始を告げる鬨の鉦として乱打されたのが、この音楽寺の境内の鐘楼にある梵鐘です。

このエピソードがあるせいなのか、この梵鐘は第二次世界大戦の際にも軍部への供出を免れたのだそうです・・・





境内には、秩父困民党無名戦士の碑などもあります。
明るい公園のおとなりで、ちょっとしみじみなお寺でした。。。






<第24番 光智山 法泉寺>

音楽寺から小鹿坂を下って荒川沿いの県道72号線を進むと、法泉寺にたどり着きます。
が、観音堂は一直線に伸びた116段の高い石段の上~!!!






・・・これは、1日回り疲れたカラダに鞭打って、根性出して登らねばなりますまい Orz








しかし、登り切ったならば、この絶景!です♪
目の前に広がる武甲の山容!しかもちょうど斜陽の頃合にさしかかってきました。

もう少しすると、夕焼けの色に染まるのかもしれませんね~





境内にはなぜか一休さんの像がお昼寝してたんだけど、よく見るとおでこに毛虫が・・・
むずむずチクチクして、おちおち昼寝もしてられないんじゃないのかな・・・?





<第25番 岩谷山 久昌寺(御手判寺)>

さて、この札所第25番久昌寺からは、武甲山の西麓、「旅立ちの日に」の発祥の地・影森や浦山ダムの方へと、秩父市域を少し離れます。





この久昌寺は閻魔大王が爪で彫ったという「御手判石」が寺宝なことから、別名を御手判寺というそうです。

御手判石自体は見ることができないのですが、その模様を判刷りにしたものを領布してくれるということで、その見本が置いてあります。

なんだか、蚊取り線香というか指紋というか・・・よくわからない、ぐるぐる渦巻きの模様です☆





観音堂の裏手を一段上がったところに、蓮の見事なため池があって、その奥に本堂があります。

ちょうど時間的に夕暮れ時になって、本堂側から見たため池に、青い空と斜陽に照らされた観音堂の屋根が映って、とてものどかで美しい景色でした・・・♪





ここでちょうど納経所閉所時間の17時となり、本日の札所めぐりは終了~!
あと残り9寺。いよいよ山中に分け入っていくんだけど、次はいつ回れるかな・・・?

(→3日目の記事はこちら!)

<おまけ>

帰宅途中に通りかかった秩父公園橋。
夕暮れ時に幾何学的な橋のデザインがなかなか美しくて、しかも通りながらの見え方が楽しい!

スマホの充電ひもが写っちゃったのが惜しかったな~☆