2012年6月29日

陸前高田、あの日から1年。



昨年の3.11東北地方太平洋沖地震で壊滅的な被害を受けた、陸前高田に行くことになりました。

JR大船渡線が被害を受けて運休しているので、新幹線で一関まで行って車で陸前高田へ。

内陸部をずっと車で走っているときには、地震から1年経って復旧もすすんでいることもあるのか、それほどの被害と感じずにいたのですが、山を越えたとたんに・・・





なんでこんな山の方で?というようなところでもJR大船渡線の線路が壊れていて、平野が開けると、そこには・・・何もない!






いや、何もないというのは語弊がありますね。

1年経って、あらかたの部分の瓦礫は取り除かれて平地になっているんですが、ところどころに大きな建物がそのままになっていて、瓦礫があちこちに積み上げられて山になっている状況。

そして、気仙川の河口そばには、ぽつんと「奇跡の一本松」が。




このあたりは「高田松原」といって、一面に約7万本の松が茂る松林が広がっていたのだそうです。
すぐそばの建物はユースホステルだったとのこと。

その向こうに広がる穏やかな海が、さらに悲しみを誘います。。。





車の窓から見た、まだ建てて間もないように見える5階建ての住宅団地。
この4階まで津波に襲われるなんて、誰が想像したでしょうか!




学校も、柱だけを残して、向こう側がみえるくらいに全て!津波にさらわれてしまってます。
このあたりでもビル4階くらいの高さまで波が来たようで、3階建ての校舎はひとたまりもなかったでしょう。





このスーパーは、屋上に取り残された人々がヘリで救出される映像がTVで流れていました。

もうすぐ後ろに高台を控えているような場所で、海から1~2km離れているにも関わらず津波が屋上近くまで押し寄せてきたなんて・・・

そんな大変な被害を受けた陸前高田ですが、1年建って人々の復興へ向けた営みも少しずつ見られました。




すこし山のほうに入った高台の街道沿いにあった共同店舗。
海岸部で土木作業を行っている方々がよく来られるとのこと。





こんなところでアツアツのラーメンが食べられるなんて・・・
殺風景でココロに刺さる風景を見た後に、しみじみと染み渡りました。。。

そして、今回陸前高田に行った目的。




「植物工場」です。

陸前高田の平野部の田畑がすべて津波による塩害を受けてしまったので、神奈川の企業が復興支援のために「土を使わずに葉物野菜を作る」ドームを、陸前高田市の高台に作ったものです。





で、ちょびっとだけその設置に関わったので、今回はその状況確認ということだったのですが、実際の陸前高田の状況をみるにつけ、少しでもこの「植物工場」が復興の役に立ってほしいと心の底から願わずにはいられません。