2014年5月10日

筑波山神社にお参り☆

地元のゆるやかな「山の会」の春の例会は、筑波山です。

筑波山は西側の男体山と東側の女体山の二峰からなる標高877mの、日本100名山の中で一番低い山です。

「常陸国風土記」の頃より「神の山」として信仰されている山で、男体山の神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)、女体山の神は伊弉冉尊(イザナミノミコト)があてられて、それぞれの山頂にある「本殿」と麓で両本殿を遙拝する「拝殿」からなる筑波山神社により祀られています。

筑波山神社の社伝「筑波山縁起」によると、「古事記」にある伊弉諾尊・伊弉冉尊による国産みで生み出された「おのころ島」が筑波山にあたるのだといいます。

また、南北朝時代の万葉集注釈書である「詞林采葉抄」では、筑波山は天照大神が降臨した神山であるともいいます。

山の会ご一行総勢40人、まずは大型バスで筑波山神社の拝殿に到着。
まずはお参りです。

バスを降りたらまずは巨大なガマさんがお出迎え。さすがガマの油売りで有名な筑波山~☆





参道を進むと、真正面に神橋が現れます。
筑波山神社は徳川家が篤く保護していたようで、神橋は寛永10年(1633年)3代将軍徳川家光により寄進され、5台将軍徳川綱吉により改修されたとされています。





参拝者は渡れないように立ち入り禁止になっていて、一見、周囲や橋の下に川があるようには見えないんですが、下をのぞくとちゃんと「橋」になってます(笑)。

拝殿は明治8年(1875年)の造営。

拝殿前に建つ随神門(ずいしんもん)も寛永10年に徳川家光に寄進されたのですが、何度か焼失して、現在の楼門は文化8年(1811年)に再建されたものだそうです。




仁王門のように見えますが、近づいてよく見ると安置されてるのは向かって左側が倭健命(やまとたけるのみこと)、右側が豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)なので、ちょっとびっくり。



網の外から撮ったので、見にくい写真ですが・・・(^^;)

拝殿の庭には「さざれ石」もあります。
そう!「君が代」の歌詞にも出てくる、あの「石」です。

さざれ石(細石)というのは文字通りもともとは「細かい石」の意味なのですが、長い年月のうちに細かい石の間が石灰質で埋められて大きな石に育ったものも指すそうです。

だから、「君が代」の歌詞も「細かい石が大きな岩になって苔がむすくらい長~い」年月のことをうたっているというわけ。





巨大な鈴の下がっている拝殿にお参りして、いよいよ登っていくのは本殿に向かう「参道」です。

男体山頂と女体山頂の間は「御幸ヶ原」と呼ばれるちょっと広めの鞍部になっていて、実はそこまでケーブルカーで上がれるし、そこから男体山頂まで約300m、女体山頂まで約600mなので、結構お手軽に両方の本殿まで行けちゃうのです。





ただし、今回は一応「山の会の例会」なので、せっせと自力で登っていくのです。
登っていく道の脇をケーブルカーの線路が通っているのは癪に障りますけど・・・(笑)




筑波山は火山ではなくて、隆起した花崗岩が風雨に削られてできた山なのだそうです。
そのせいかはわかりませんが、参道・・・とはいいながらも、登山道はこんなに大きな石がごろごろしてたりします。







それでも、ところどころはこんな古道めいた掘割道も出現したりするので、古道好きの私としてはわくわくしてしまったりもするのです☆




さて、かなり急な大石ごろごろ道を登っていくと、「男女川」と書かれた看板が出現しました。
これ、「みなのがわ」と読みます。

小倉百人一首の陽成院の歌に「筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなのがわ 恋ぞつもりて淵となりぬる」と詠まれた「みなのがわ」の水源地です。





思わず、川はどこ~?というくらいの、ちょろちょろと水が湧き出ています。
その水は、登山道を流れて沢へ落ちていました。きっと山の水を集めてちゃんと川になってながれていくのでしょう・・・☆

同じチームに足弱の人がいたので、途中休み休みのんびりペースで上り続けて2時間半。
ケーブルカーの終点でもある御幸ヶ原に到着。





ここから男体山と女体山に登山道が分かれます。
まずは300mほど離れた男体山御本殿にご参拝♪




ここからの眺めがまたすばらしいんです!
何が・・・?って、まず筑波山は3方向を関東平野に取り巻かれて、独立峰のようにそびえているので、見晴らしが抜群によい!

そして・・・


これはひとえに私のシュミかもしれませんが、上の写真のように地形がばっちりわかる!
単純に平べったく考えられがちな関東平野ですが、微妙な高低差が畑や水田の分布をとおしてひと目でわかるのが感動的ですね~☆

筑波山の南方にある小田城跡は鎌倉初期に常陸国の守護職であった小田氏が鎌倉~戦国期に居城としており、戦国期には後北条氏と上杉謙信方である佐竹氏・多賀谷氏との最前線でもあった土地柄なので、小田氏ももしかしたらこの地形をみながら城の縄張りをしたり、戦略を練ったりということもあったのかなぁ~、と妄想したりして(笑)





また御幸ヶ原にもどって、一応山人(やまんちゅ)っぽくワンバーナーでお湯を沸かしてコーヒーをいれ、カップラーメンとおにぎりでお昼ご飯♪

御幸ヶ原はケーブルカーの駅があるので、軽装の人もいっぱいいるし、売店も充実してます☆
のんびり昼食をとった後は、今度は女体山へ。



こちらが女体山御本殿。岩に橋がかかっています。
ここからもめっちゃいい景色です。が・・・




・・・大混雑(笑)

それでも、振り返ると男体山が御本殿までばっちり見えたりして、絶景かな絶景かな♪

女体山からは、今度は筑波山神社拝殿ではなく、ロープウェイにそってつつじヶ丘に下りていきます。




このコースは狭くて急な坂が続くのですが、巨石奇岩がいっぱいあって、楽しみながら歩けます。

「大仏岩」は、う~ん、確かに大仏に見えないこともないか・・・(笑)


「裏面大黒」は大きな袋を背負った大黒様の後ろ姿だということなんですが・・・よくわからない(笑)
みんなは「心の目で見るんだよ!」と言うんですが。。。

「出船入船(でふねいりふね)」は石の姿が出船と入船とが並んでいるように見えるから、だそうです。まぁ、そういわれればそうなのかな?






「国割り石」は昔神々が集まってこの石の上に線を引いて、神々の行くべき地方を割り振ったのだといわれているそうです。確かに石の上に線(溝)がひかれてる☆

そして次のが「母の胎内くぐり」です。




修験行場の1つで、窟を抜けることで生まれた姿に立ち返ることを意味してるのだそうです。

そして・・・「高天原」!
この岩の上には天照大神をお祭りする稲村神社があります。






クライマックスは「弁慶七戻り」。石が落ちそうで弁慶も七戻りしたから・・・?

古来「石門」といい、聖と俗とを分ける門なのだそうです。





私たちも、びくびくしながらも勇猛果敢にくぐり抜けます!

つつじヶ丘までくると、ちょうど季節もよくて、その名の通りつつじが満開で綺麗~♪





最後は、バスの停まってる駐車場めがけてジャンボ滑り台を滑り降り、ブルーベリーソフトクリームで打ち上げ!





筑波山がご神体の筑波山神社。
自分の足でしっかりお参りしましたので、ご利益あらたかだといいな☆

お疲れ様でした!(*^^*)