2016年3月25日

「ゆる鉄部」の部活動は、鉄道ムードのカレー店♪

昨年、うちのじいちゃんが倒れて入院し、年末に亡くなるなどいろいろばたばたしていて、すっかりSNSにご無沙汰していましたが、やっと少し落ち着いて目が向くようになってきました。。。

というわけで、久々にブログ書き復活です☆

昨夜は、お城めぐりの趣味でいろいろとお世話になっている「城メグリスト」こと萩原さち子さんに誘っていただいて、「ゆる鉄部」精鋭?4人で祐天寺にある「鉄道ムードのカレー店 カレーステーション ナイアガラ」に行きました。

閉店時間が20時と早いので、仕事を定時で切り上げてダッシュ!祐天寺駅の改札で待ち合わせてお店まで歩いて5分ほど・・・

あったあった!遠めにもよくわかる鉄道グッズを飾ったお店☆





まず眼に入るのがお店の前においてある踏み切り。お店の脇の「待合室」の入口にはみどりの窓口の看板。中に入ると「愛国駅」のホームの駅名表示板。そしてお店のウインドウ内に大きな「デゴイチ」の顔。。。

そして、それらがすべてホンモノ~!!!

鉄道は好きだけど「鉄ちゃん」ではないよ☆・・・の「ゆる鉄部」メンバーも、これにはテンション上がるしかない!まだお店に入ってないのに・・・(^□^;)

ひとしきりお店の前で写真取りまくってから、今度はいよいよ店内へ。
ちょっと狭めのお店の入口も、おそらく電車の中で使われていた折りたたみ式のドア。

入ってすぐの券売機でまずは食券を買います。メニューは「カレーステーション」の名の通り、カレーとトッピング、それに飲み物です。

カレーは「昭和の味」ナイアガラカレー、洋食屋のカレーピラフ、大辛の超特急カレーとありますが、ここは萩原さんのオススメで4人とも「新幹線カレー」をチョイス。

小さな店内はカウンター5席と、本当に使われていた4人掛ボックスシートが3つ。座席の上には網棚。壁には機関車のプレートが飾られています。



このお店の「駅長さん」によると、このプレートのうち一番上の「C57117」の機関車は、1973年宮崎で昭和天皇がご乗車された「日本最後の国鉄蒸気機関車牽引のお召し列車」を牽引した機関車なんだそうです。

また、2番目の「E104」は動輪5軸を有する機関車で、5両しか作られなかったうちの1両のものだそうです。

ほかにも壁にはいろいろとお宝がかかっております。それらをぐるっと見渡しながらカウンターの方を向きますと・・・




カウンターに窓口が・・・!
そして窓口の奥にある発券棚?のなんとレトロなこと。中にある切符もホンモノ?の硬券。

厨房との境には「定期券はハッキリ見せましょう」www


 


電話までレトロ(笑)
何の変哲もなく見えていたカウンターテーブルも実はガラス張りになっていて、中にNゲージやらスイカペンギンやら・・・☆




さて、ひとわたり店内に興奮した後で、ボックスシートに座って談笑しておりましたらば、店員さんから「カレーが参ります」のアナウンス。

見ると、カウンターからそれぞれのテーブルへと伸びている線路の上を、機関車に運ばれてカレーや飲み物がやってやってくる!

 



4人が注文した新幹線カレーは、前回の ゆる鉄部活「鉄道居酒屋」 でもお目にかかった新幹線のお皿に乗ってやってきました。機関車に牽引される新幹線・・・(^w^)

そしてこの、ゆる鉄部員萩原さんと岡田の殿のうれしそう~な顔!




次々にやってきた4人分の新幹線・・・
並べると壮観です!このスピード感(笑)





このお店「カレーステーション ナイアガラ」の駅長さんもとても素敵な方で、わざわざ席まで来ていろんな雑誌や写真を見せてくれて、このお店に飾られている品々の説明や、お店をはじめたわけなど丁寧にお話してくださいました。

小学校2、3年生の頃、戦争で東京から富山に疎開をしたそうなのですが、その出発のときにお母様が食料の乏しい中ヤミ米を調達してきて、代用品を使ったりしてカレーライスを作ってくれたのだそうです。

そして、疎開先ではなかなかなじめなくて、いつも列車を眺めては、東京に続いているその鉄道で東京に戻って懐かしいお母様のカレーを食べたい」と思っていたのだそうです。

それで、後年、渋谷の東急文化会館(今のヒカリエ)にあったレストランで修行しながら、鉄道工場や国鉄即売会などで鉄道グッズを集めて、「鉄道ムードとお母様のカレー」を味わえるお店を開店したとのこと。

だから、カレーの味は「お母様のカレー」にこだわっているというだけあって、昔懐かしい、とろっとしたカレーでした♪

さて、そんなこんなで閉店時間の20時まではあっという間に過ぎてしまって・・・

それでも未練がましくお店の前で、4人で大撮影大会を繰り広げていたら、駅長さんが出てきて「実は、大きな動輪がお店には置けないので、ちょっと離れたところにある幼稚園の敷地を借りて飾ってあるんだよ」と教えてくれました。

で、お店から歩いて2~3分離れたその場所に行ってみると、幼稚園の敷地の中でライトアップされた、はからずも見事な夜桜と、その向こうに現れた・・・




先ほどお店の中に飾られていたプレートの中にあった「C57117」お召し列車の主動輪!
しかもぴかぴかに磨かれているし、ちゃんとレールの上に乗ってるし。

よくみると周囲の柵は枕木だし、中に敷かれているのはどうみても線路の敷石だよね?!
いやはや、徹底的にこだわり抜いている駅長さんにびっくりぽんですわ(^o^;)

お店自体は、鉄道ファンじゃない方でもくつろげるような雰囲気で、実際この日も地元のおじさんおばさんたちがフツーにカレーを食べに来てる感じでしたし。

今度は、お店貸切で「ゆる鉄部総会」でもやりますかね・・・そんなお店でした♪
また来ますね!


おまけ:動輪に夢中なゆる鉄部員の面々☆





にほんブログ村 旅行ブログ たまたま行った旅へ
にほんブログ村

2016年3月19日

塩山・勝沼ぶらり旅♪ その2大善寺&雲峰寺


午前中は塩山にある甘草屋敷でゆっくりまったりおひな様を楽しんで、完熟屋のほうとうでおなか一杯になったところで、午後は一転してお寺めぐり。
(→ 午前中の記事はこちら!


●大善寺

午後は塩山から勝沼方面に移動して「ぶどうのお寺」大善寺へ。

僧 行基が甲斐で修行をしたときに、満願の日の夢の中にブドウを手にして現れた薬師如来様を刻んで安置したのが、この大善寺にある国宝の薬師如来像だそうです。




庫裏の手前にある受付で拝観料を払うと、駐車場のカードももらえます。
御朱印の受付もこちら♪




石段を登っていくと楼門(仁王門)が現れます。




こちらの仁王様はちょっと優しい感じのイケメンです☆

ところで、幕末に近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が勝沼で官軍と戦った際には、この大善寺周辺が戦いの舞台となったようです。





「柏尾坂の戦い」錦絵の解説の案内板には「大善寺の山門」が書いてあるけど、実際の柏尾坂は寺から少し離れてるようだし、実際はどうだったんでしょうね・・・?


さて、楼門を潜り抜けて石段をさらに登っていくと、右手に綺麗につるんと木の皮が剥けたヒノキの大木が立っていて、びっくり。
平成14~15年に本堂(薬師堂)の屋根を修復したときに、この木の皮も使ったのだそうです。




さらに上へと登っていくと、またも楼門に似た建物。
楽堂です。




楽堂は、よく見ると石段の両側に渡した渡り廊下のような建物になっていて、案内板によると、祭りの際にはこの楽堂で音楽を奏で、隣にある稚児堂で舞を舞って参詣者をもてなしていたということのようです。

楽堂に上がってみると、中はこんな感じ。三方に窓が開いていて開放感あふれています♪




窓から外を眺めると、遠く甲府盆地方面が一望の下に見渡せます!




写真は視界が広がる右手方向ばかり取っていますが、実は楽堂の真正面、つまり登ってきた石段の方向には富士山があるのだそうです。

ただし、山々が遮っていて富士山は見えません・・・なのにちゃんとお寺を富士山に面して作れるなんて、昔の人はどうやって富士山の方向がわかったんでしょうね☆




楽堂のとなりにある稚児堂というのが、この建物。
一瞬、能舞台かな?と思っちゃいましたが、違うんですね(^^;)

大善寺の大祭「藤切り祭」の稚児舞の舞台として使用されるのだそうです。




楽堂を潜って境内に入ると、真正面に国宝の本堂(薬師堂)が現れます。
この薬師堂は鎌倉時代、元寇(弘安の役)の数年後の弘安9年に立てられたのだそうで、なんと築730年!

桧皮葺の屋根が大変美しい建物です。修復には、先ほどのヒノキの皮も使われてるんですね☆





写真がちょっとブレちゃいましたが、本堂の扉が大きく開いておりましたので、中に入れていただきました。

5年に1度のご開帳は終わってしまったばかりで、ご本尊の「ぶどうを手にした」薬師如来さまを拝することはできなかったのですが、その他の仏様たちをじっくり拝観。

あまり人がいなかったこともあって、他のお寺や博物館、展覧会では考えられないくらい、超間近にかぶりつきでじっくり拝観できちゃいました。ラッキー☆




境内にも梅と早咲きの桜が春を告げていました♪

お参りを済ませて、階段ではなく鐘楼の脇から回り道して降りることに。
すると、古い五輪塔がたくさん寄せ集められていました。

なんとなく「プチ化野」な感じだな~、と思っていると、その先には「理慶尼墓」が。。。





理慶尼は武田信玄のいとこにあたる女性のようです。
天正10年(1582年)織田信長の甲州征伐の際に、新府城から落ち延びて大善寺に立ち寄った、甥に当たる武田勝頼一行を迎えて、薬師堂で寝所を共にしたのだそう。

勝頼はここで小山田信茂の裏切りを知って天目山に向かったので、大善寺で最後の夜を過ごしたということですね・・・

さて、しみじみしたところで、この日のお宿の裂石温泉へ向って移動~☆


●裂石山雲峰寺



裂石温泉は、勝沼にある大善寺からまた塩山方向に戻り、今度は大菩薩峠の方に向って登っていったところにあります。

その近くに、雲峰寺という古刹があり、多少時間もあったので寄ってみることにしました。




案内板によると、雲峰寺の開創は天平17年(745年)僧 行基によるといわれている古刹。
その後、甲斐源氏の武運長久の祈願寺として武田氏から深く尊崇されていたのだということです。




さっそくお参りしようと見上げると・・・
うわぁ、198段の石段が行く手を阻んでおる☆




しかも、相当古い石段なのか、よく見ると段々が波打ってて、めちゃ登りづらいし(>_<;)
石段の両側の杉の木も、太く大きくて年輪を感じます。。。




そして、それぞれの木の根元には、苔むした石仏さま。




写真を撮りながらえっちらおっちら登っていくと、上の方に小さく見えていた仁王門が段々近づいてきました。。。




こちらの仁王様は、ちょっとダイナミックな感じ?
お胸元がなんとも・・・(笑)

仁王門をくぐると、さらに石段(^^;) その上に本堂の屋根が見えてきた!




やっとこせっとこ石段を登りきって境内に入ると、真正面に入母屋作りの本堂。




武田信虎により再建されたとされる室町時代の建築物で、国の重要文化財に指定されています。
桧皮葺の屋根が重厚な感じです。。




さすがに武田氏の尊崇するお寺だけあって、屋根の上には武田花菱がいっぱい・・・と思ったら、真ん中に金色に輝く葵の御紋。
近世になって徳川氏から寺領を安堵されてるそうなので、そのせいかな。。。




そして、並びの紋には真ん中に「五三桐紋」、脇には「菊花紋」・・・これはどういう縁があるのかな☆




本堂の前には天然記念物の「雲峰寺のサクラ」が立っています。約700年前に植えられたという、幹の周りが5mもあるエドヒカンザクラです。

この山中にはまだ春は来ていないようですが、こんな巨木に花が咲いたら、どれだけ華やかになるんでしょう!

そして、この写真の左側にある鉄骨の枠組みが問題で・・・





実は宝物館が改装中で、当面の間休館だとのこと!(>_<)

この宝物館には、天正10年(1582年)の織田信長の甲州征伐により武田勝頼と一族が天目山麓で滅びた際に、家臣が運んだといわれる「日の丸の御旗」「孫子の旗」「諏訪神号旗」が納められていて、拝観が目的でもあったんですが・・・☆




仕方がないので、代わりにお寺の西側から遠く甲斐盆地の眺めを楽しんで、宿に向ったのでした。。。




この日のお宿は、さっきまでいた雲峰寺にちなんだと思われる名前の、「裂石温泉雲峰荘」!
露天風呂は男女混浴だけど、お風呂着を貸してくれるので女性でも気軽に入れます♪

地元勝沼のワイナリーで醸したお宿オリジナルラベルのワインもあって、なかなかよいお宿でした。

温泉で一晩まったりした後・・・次の日はお彼岸でじいちゃんのお墓参りにとんぼ返り。
丸1日だけでしたが、ぶらぶらのんびり塩山・勝沼を楽しんだ旅でした☆

にほんブログ村 旅行ブログ たまたま行った旅へ
にほんブログ村