2016年3月19日

塩山・勝沼ぶらり旅♪ その2大善寺&雲峰寺


午前中は塩山にある甘草屋敷でゆっくりまったりおひな様を楽しんで、完熟屋のほうとうでおなか一杯になったところで、午後は一転してお寺めぐり。
(→ 午前中の記事はこちら!


●大善寺

午後は塩山から勝沼方面に移動して「ぶどうのお寺」大善寺へ。

僧 行基が甲斐で修行をしたときに、満願の日の夢の中にブドウを手にして現れた薬師如来様を刻んで安置したのが、この大善寺にある国宝の薬師如来像だそうです。




庫裏の手前にある受付で拝観料を払うと、駐車場のカードももらえます。
御朱印の受付もこちら♪




石段を登っていくと楼門(仁王門)が現れます。




こちらの仁王様はちょっと優しい感じのイケメンです☆

ところで、幕末に近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が勝沼で官軍と戦った際には、この大善寺周辺が戦いの舞台となったようです。





「柏尾坂の戦い」錦絵の解説の案内板には「大善寺の山門」が書いてあるけど、実際の柏尾坂は寺から少し離れてるようだし、実際はどうだったんでしょうね・・・?


さて、楼門を潜り抜けて石段をさらに登っていくと、右手に綺麗につるんと木の皮が剥けたヒノキの大木が立っていて、びっくり。
平成14~15年に本堂(薬師堂)の屋根を修復したときに、この木の皮も使ったのだそうです。




さらに上へと登っていくと、またも楼門に似た建物。
楽堂です。




楽堂は、よく見ると石段の両側に渡した渡り廊下のような建物になっていて、案内板によると、祭りの際にはこの楽堂で音楽を奏で、隣にある稚児堂で舞を舞って参詣者をもてなしていたということのようです。

楽堂に上がってみると、中はこんな感じ。三方に窓が開いていて開放感あふれています♪




窓から外を眺めると、遠く甲府盆地方面が一望の下に見渡せます!




写真は視界が広がる右手方向ばかり取っていますが、実は楽堂の真正面、つまり登ってきた石段の方向には富士山があるのだそうです。

ただし、山々が遮っていて富士山は見えません・・・なのにちゃんとお寺を富士山に面して作れるなんて、昔の人はどうやって富士山の方向がわかったんでしょうね☆




楽堂のとなりにある稚児堂というのが、この建物。
一瞬、能舞台かな?と思っちゃいましたが、違うんですね(^^;)

大善寺の大祭「藤切り祭」の稚児舞の舞台として使用されるのだそうです。




楽堂を潜って境内に入ると、真正面に国宝の本堂(薬師堂)が現れます。
この薬師堂は鎌倉時代、元寇(弘安の役)の数年後の弘安9年に立てられたのだそうで、なんと築730年!

桧皮葺の屋根が大変美しい建物です。修復には、先ほどのヒノキの皮も使われてるんですね☆





写真がちょっとブレちゃいましたが、本堂の扉が大きく開いておりましたので、中に入れていただきました。

5年に1度のご開帳は終わってしまったばかりで、ご本尊の「ぶどうを手にした」薬師如来さまを拝することはできなかったのですが、その他の仏様たちをじっくり拝観。

あまり人がいなかったこともあって、他のお寺や博物館、展覧会では考えられないくらい、超間近にかぶりつきでじっくり拝観できちゃいました。ラッキー☆




境内にも梅と早咲きの桜が春を告げていました♪

お参りを済ませて、階段ではなく鐘楼の脇から回り道して降りることに。
すると、古い五輪塔がたくさん寄せ集められていました。

なんとなく「プチ化野」な感じだな~、と思っていると、その先には「理慶尼墓」が。。。





理慶尼は武田信玄のいとこにあたる女性のようです。
天正10年(1582年)織田信長の甲州征伐の際に、新府城から落ち延びて大善寺に立ち寄った、甥に当たる武田勝頼一行を迎えて、薬師堂で寝所を共にしたのだそう。

勝頼はここで小山田信茂の裏切りを知って天目山に向かったので、大善寺で最後の夜を過ごしたということですね・・・

さて、しみじみしたところで、この日のお宿の裂石温泉へ向って移動~☆


●裂石山雲峰寺



裂石温泉は、勝沼にある大善寺からまた塩山方向に戻り、今度は大菩薩峠の方に向って登っていったところにあります。

その近くに、雲峰寺という古刹があり、多少時間もあったので寄ってみることにしました。




案内板によると、雲峰寺の開創は天平17年(745年)僧 行基によるといわれている古刹。
その後、甲斐源氏の武運長久の祈願寺として武田氏から深く尊崇されていたのだということです。




さっそくお参りしようと見上げると・・・
うわぁ、198段の石段が行く手を阻んでおる☆




しかも、相当古い石段なのか、よく見ると段々が波打ってて、めちゃ登りづらいし(>_<;)
石段の両側の杉の木も、太く大きくて年輪を感じます。。。




そして、それぞれの木の根元には、苔むした石仏さま。




写真を撮りながらえっちらおっちら登っていくと、上の方に小さく見えていた仁王門が段々近づいてきました。。。




こちらの仁王様は、ちょっとダイナミックな感じ?
お胸元がなんとも・・・(笑)

仁王門をくぐると、さらに石段(^^;) その上に本堂の屋根が見えてきた!




やっとこせっとこ石段を登りきって境内に入ると、真正面に入母屋作りの本堂。




武田信虎により再建されたとされる室町時代の建築物で、国の重要文化財に指定されています。
桧皮葺の屋根が重厚な感じです。。




さすがに武田氏の尊崇するお寺だけあって、屋根の上には武田花菱がいっぱい・・・と思ったら、真ん中に金色に輝く葵の御紋。
近世になって徳川氏から寺領を安堵されてるそうなので、そのせいかな。。。




そして、並びの紋には真ん中に「五三桐紋」、脇には「菊花紋」・・・これはどういう縁があるのかな☆




本堂の前には天然記念物の「雲峰寺のサクラ」が立っています。約700年前に植えられたという、幹の周りが5mもあるエドヒカンザクラです。

この山中にはまだ春は来ていないようですが、こんな巨木に花が咲いたら、どれだけ華やかになるんでしょう!

そして、この写真の左側にある鉄骨の枠組みが問題で・・・





実は宝物館が改装中で、当面の間休館だとのこと!(>_<)

この宝物館には、天正10年(1582年)の織田信長の甲州征伐により武田勝頼と一族が天目山麓で滅びた際に、家臣が運んだといわれる「日の丸の御旗」「孫子の旗」「諏訪神号旗」が納められていて、拝観が目的でもあったんですが・・・☆




仕方がないので、代わりにお寺の西側から遠く甲斐盆地の眺めを楽しんで、宿に向ったのでした。。。




この日のお宿は、さっきまでいた雲峰寺にちなんだと思われる名前の、「裂石温泉雲峰荘」!
露天風呂は男女混浴だけど、お風呂着を貸してくれるので女性でも気軽に入れます♪

地元勝沼のワイナリーで醸したお宿オリジナルラベルのワインもあって、なかなかよいお宿でした。

温泉で一晩まったりした後・・・次の日はお彼岸でじいちゃんのお墓参りにとんぼ返り。
丸1日だけでしたが、ぶらぶらのんびり塩山・勝沼を楽しんだ旅でした☆

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